筋トレに根性はいらない?両者の関係を解説|良い根性は必要

このような悩みを持っていないだろうか。

・根性論だけの筋トレに抵抗感がある。

・筋トレ=体育会系のイメージがある。

・科学的根拠で根性論を否定したい。

この記事ではこれらの悩みを解決していく。

この記事の内容は以下のとおりである。

1.良い根性と悪い根性を解説。

2.体育会系≠良い根性。

3.科学至上主義も体育会系と変わらないことを解説。

この記事を書いている筆者は筋トレを5年間行っており、ボディビルダーを目指し研究と実践を繰り返している筋トレオタクである。またフィットネスクラブでの勤務経験があり、初心者のシェイプアップに成功した経験もある。このような筆者が読者の悩みを解決しよう。

良い根性と悪い根性の違い

悪い根性

根性とは、「困難に直面した際に諦めず物事を完遂する際に要する意志」と定義できる。

悪い根性とは、「再現性や科学に基づいていない根性」である。なにか困難を成し遂げる際には根性が必要になることが多いが、根性発揮の理由が非科学的で再現性が低いのだ。悪い根性には3つの特徴がある。

第一に再現性がない。「俺はケガして強くなった」「昔はこうやって追い込んだ」という個人の経験談を絶対視しトレーニング理論や個人差を無視する姿勢がみられる。他者にも同じ方法を強要し失敗しても「お前の根性が足りない」で片付けてしまう。

第二に保身的である。悪い根性論を振りかざすヒトは自らの成功が根性の賜物と誤認する。そのため理論の勉強や誠実さが欠如する傾向にある。なぜならそれは自身の行動を否定することになるからだ。このようなヒトは指導者に多く、適切な指導ができない彼らの主張の根拠は100%保身で生徒のことは考えていない。

第三に非科学的である。悪い根性論では、オーバートレーニングや体調不良その他科学的に再現性がある事象が甘えとみなされる。根性発揮にはエネルギーが必要になる。そのため再現性が確保されている手法を無視するのはエネルギーの無駄使いになる。

良い根性

良い根性とは「再現性や納得できる根拠を基に実施される根性」である。

例えばケガ無く大腿四頭筋を狙うために、再現性ある理論や自分の身体の理解に基づいてスミススクワットのフォームをつくる。ここまでに根性は全く必要ない。しかしフォームを維持したうえで限界まで行う際ためには根性が有効だ。これが「良い根性」である。

悪い根性は、「ケガしてでも挙げろ」とか、フォームだけ作って満足している状態である。まさに「実践なき理論は空虚、理論なき実践は盲目」である。理論に基づいた実践でこそ根性は活きる。

体育会系≠良い根性

体育会系の過ち

部活動には筋トレや運動が含まれているので、筋トレ=体育会系というイメージがあるが、実際はそのようなことはない。

体育会系は「根性がある」「上下関係をしっかり守る」「厳しさに耐え抜いてきた」と評価されるが、実際は行動が悪い根性に基づいている。そのため自分で責任を取ったり計画を立て実行すること必要な環境では力を発揮しないことが多い。

思考停止

体育会系の文化では「考えるな、動け」「質問するな、やれ」といった風潮が常態化しており、意思決定を他者に委ねることが美徳とされている。結果自分のための行動の根拠が、「先輩or後輩が言っていたから」「昔からそうだから」といったものになる。これは思考停止である。

このような態度は筋トレに悪影響を及ぼす。なぜその種目を選ぶのか、どんな刺激を狙うのか、といった「問い」が抜け落ち「とにかくやれ」と曖昧なまま実践するだけになる。その実践は再現性のない徒労になることが多い。

保身と依存

体育会系では責任の所在が曖昧な傾向にある。後輩は何か決定するときは先輩の顔色をうかがい、先輩は自分の失敗を後輩に擦り付ける。

例えば他人にアドバイスするヒトはアドバイスに責任を持っている。少なくとも結果が出なければ責任があるからだ。しかし体育会系のヒトは「自分で考えたトレーニングではない」「指導された通りにやっただけ」と考えることが多い。アドバイスを受けることはタダで当然と思い本気で実行しない。結果失敗して相手に負担がかかることまで想定していない。

体育会系の行動はきつく見せているだけで、実際は自分に甘い形だけの厳しさである。

筋トレに悪い根性は一切必要ない

筋トレやボディビルでは根性が重要である。なぜなら科学や研ぎ澄まされた感覚に基づく実践を完遂するために必要だからだ。ただし悪い根性は成長の妨げになる

よく「体育会系=根性がある」と言われるが、実際には他人任せで責任を取らず、ただ従うだけの姿勢が多い。これは良い根性ではない。

筋トレに必要なのは良い根性であり、体育会系のノリや悪い根性は一切必要ない。

科学至上主義も体育会系と変わらない

理論は実践できなければ意味は薄い

筋トレは理論構築と実践を繰り返す。理論には再現性が必要なので科学が理論構築材料として選ばれやすい。

施策が科学的に構築されることは、根性論を否定する「だけ」のヒトを生みだしやすい。筆者はこのようなヒトをサイエンスブロ(Science bro: 科学的手法を信仰し自身にとって非科学に見えるヒトやことを否定したいヒト。)と定義する。

サイエンスブロと体育会系には共通点がある。サイエンスブロが科学を利用する目的は理論構築ではなく攻撃にある。そのため科学的手法を信仰し、論文の一文やデータを根拠に他者を否定したり自らを正当化する。表面的な理解にとどまり実践との乖離を考えずに「論文に書いてあるから」と言って進行するのは、体育会系の思考停止と同じである。

筆者はこのブログの情報発信はできるだけ科学的かつ再現性を高くするように試みている。そのために論文や文献を参照するが、その際に重要なことは解釈し応用することで、ただ読んだりするだけなら簡単である。

論文は英語で書かれているし、フォーマットを理由に結果が必ず一つある。そのため読んだり提示するとなんとなく知見がある風に自分を見せることができるし、一つの結果を用いて否定したい主張を否定することが容易だ。これがサイエンスブロが発生しやすい理由である。

論文を解釈せずに読んだだけで他者を否定したり保身に使う行動は、体育会系の精神と何ら変わらない。

真の理論家の根底には根性ある

真の理論家は文献を解釈し深く理解したうえでそれを実践する。

例えばSSTというトレーニング方法がある。これは筋原線維肥大の限界付近に至ったヒトが、筋形質を肥大させさらなる筋肥大を目指すためのトレーニングである。SSTは論文で効果が報告されている。

SSTの理論や科学的背景はある程度複雑であるが理解できないほど難しいものではない。実際に筆者のこの記事ではSSTについて解説しているので読んでみてほしい。

ここまではほとんどのヒトができるが、SSTの実践は難しい。なぜならきついからだ。ウォームアップを怠ったり負荷の掛け方を間違えるとケガするし、トレーニングは疲労に疲労を重ねる形になる。実践には根性がいるのだ。

以上のことから科学的知見を使えている真の理論家の根底には根性がある。まずは死ぬ気でトレーニングをしよう。そして境地を悟る。理論はそれからだ。

最後に

本稿では筋トレにおける「悪い根性論」と「良い根性」について考察した。科学や再現性を無視し突き進む姿勢は、思考停止と責任転嫁を招き筋肥大を阻害する。一方で正しい理論を理解し、それを愚直に実行する意志と覚悟は「良い根性」である。

筆者は理論に裏打ちされた実践には精神力が必要だということを主張したい。

筆者は根性論者ではない。悪い根性は悪とみなしている。そのため理論ある実践としての良い根性を強調する。

この記事が読者の悩みを解決できたなら嬉しい。

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