このような悩みを持っていないだろうか。
・筋トレをすると「脳筋」と思われるのか不安。
・筋トレと知性は両立できるのか。
記事ではこれらの悩みを解決していく。
この記事の内容は以下のとおりである。
1.脳筋の定義と筋トレ=脳筋の背景を解説。
2.筋トレと知性の両立について解説。
この記事を書いている筆者は筋トレを5年間行っており、ボディビルダーを目指し研究と実践を繰り返している筋トレオタクである。またフィットネスクラブでの勤務経験があり、初心者のシェイプアップに成功した経験もある。このような筆者が読者の悩みを解決しよう。
脳筋の定義と筋トレ=脳筋の背景

脳筋の定義
「脳筋」とは、「脳みそ筋肉」の略語で、「知性や思考よりも筋力やフィジカルを重視し、行動やパワーで物事を解決しようとする人物像」を意味する。
脳(頭)は知性や思考を象徴する言葉で、筋(筋肉)は力を象徴する言葉である。思考や知性を象徴する脳が筋肉でできているという意味で脳筋という言葉が誕生した。英語圏では”Meathead”、”Jock”という言葉が脳筋に近いだろうか。
脳筋の定義から、脳筋には侮辱的な意味合いが含まれていることが分かる。運動や筋トレをするヒトは思考能力が低く何事も力押しすると揶揄される。そして筋トレやボディビルは脳筋と評価される代表である。これが筋トレをすると脳筋と呼ばれることを読者が恐れている理由であろう。
筋トレ=脳筋の背景と実際
ほとんどの人は本質を勉強せずに外見で物事を判断するので、本質的な行動をしている少数派を否定する。これが筋トレ=脳筋と評価される背景である。
多数派が理論的に正しいという根拠ではなく、多数意見だからという理由で正しい根拠で行動しているヒトを馬鹿にするという構図が成り立つ。多数派であることが正しさの根拠ではないことは多くのヒトが理解できるはずだ。
このような構図が成り立つ理由としてはリテラシーの低さにある。実際筋トレは理論構築→実践という流れを取り、理論構築は生理学や解剖学、研ぎ澄まされた感覚などの知見から構成される。
サプリメント摂取やトレーニングは理論の実践であるが、そこだけ見ると「変なことしている」と思われる。大多数のヒトは実践の背景を調査しないので「筋トレは変なことをするのだ」と誤認する。
以上のことから、筋トレ=脳筋と認識される背景には多数派の事実の誤認があり、多数派のリテラシーの低さから生まれることがわかる。
筋トレと知性の両立

筋トレには知性が必須
筋トレは理論構築と実践の繰り返しで、前者には知性が求められ後者には良い根性が求められる。つまり筋トレと知性は両立しないといけないのだ。
実践は理論に基づいて行われる。決して世間によく見せるとか体裁に基づいてはいない。そのため実践だけ見ると奇抜なことをしているように見える。理論構築よりも実践の方が目立つのでそこだけで判断され脳筋と認識されやすい。
筋トレと脳筋は相性が悪い
ここまでの内容から、筋トレが脳筋と呼ばれるのは多数派の誤認が原因で、筋トレと脳筋はかけ離れていることが分かった。
実際には脳筋と筋トレは相性が悪く、脳筋では筋トレやボディビルは継続できない。なぜなら筋トレやボディビルでは身体のマネジメントが求められるからだ。
筋トレを継続的に行い成果を出すためには、トレーニングや栄養、休養の計画を立て、疲労や体調を監視しつつそれらを調整する能力が求められる。これは自己を対象としたマネジメント行為に他ならない。
このような行為は思考力と論理的判断が伴わなければ成立しない。つまり思考停止に陥った「脳筋」では筋トレを継続死結果を出すことが困難である。
以上のことから、実際は脳筋と筋トレは相性が悪く、筋トレ=脳筋というラベルは本質を知らない人による浅いレッテル貼りにすぎない。
最後に
「筋トレ=脳筋」というイメージは多数派の誤認と浅い理解に基づくレッテル貼りにすぎない。実際の筋トレやボディビルは知性がなければ継続も結果も得られない営みである。
筋トレと脳筋はむしろ相性が悪い。なぜなら筋トレには自分の身体を管理することが求められるからだ。
「筋トレ=脳筋」と主張する声を真に受ける必要はない。そのようなことを言う人こそ、思考を放棄した脳筋と言える。
読者は「筋トレすると脳筋と呼ばれる」とか「筋トレすると知性がなくなる」とか悩んでこの記事を読んだと思うが、そのようなことは気にせず筋トレに励んでほしい。
この記事を読んで筋トレに興味を持った初心者は「初心者向け」カテゴリーの他記事を読んでほしい。筋トレ初心者に向けて分かりやすさ重視で基本的内容を解説している。
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